外国語か母国語か

外国語に不自由がないといっても、外国に住んでいることを忘れることはない。だからと言って母国語を喋る機会もない。ドン・メー・チェの同名の詩をもとにした『小さな告白』という歌は、ルーツをなくした外国人へのオマージュである–生涯故郷を持たず、外国語でコミュニケーションをとる外国人。あたかもそれが自明のことであるかのように。何という不条理!適応するのか、それとも最終的にネイティブになるのか?答えは「NO」だ!たとえ母国語が消えて久しいとしても、本当にネイティブになることはない。

言語を完璧に操ることができても克服することのできないギャップ、内なる異物感が常に残っているのだ。この構図は、根無し草とアイデンティティ喪失の感覚を反映している。自国の言語や文化を置き去りにして、又は置き去りにしなくてはならなかったなら、どこが母国のような落ち着く場所となるのだろう。

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ベルリン1989-ウィーン2025